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管理者プロフィール

基本情報

・名前:かれーこ
・年齢:27歳
・生年月日:1997年3月30日
・職業:工場作業員(6年目)
・性格:好奇心旺盛・負けず嫌い・人懐っこい
・趣味:ゲーム・読書・Youtube鑑賞(デスクツアー)
・好きなゲーム:モンスターハンター・ポケモン
・好きな食べ物:自炊カレー・キーマカレー・ほうれん草カレー
・好きな漫画:ワンピース・宇宙兄弟・ジョジョ
・好きな小説:四畳半タイムマシンブルース
・好きなもの:インテリア・香水・アップル製品

幼少期〜大学生:承認欲求が自分を動かす原動力だった

私は1997年3月30日に静岡県の田舎に生まれました。

陽気で人を笑わせるのが大好きな父と、天然で教育熱心な母、そして陽気で天然な弟。

とても明るく賑やかな一般的な家庭で育ちました。

私は、面白く楽しい父のことが大好きだったのですが

単身赴任をしていた為、1年に10日程しか会うことができませんでした。

父に会える数少ない時間を自分に使って欲しかった私は

「どうすれば父にもっと構ってもらえるのか」

「どうしたらもっと可愛がってくれるのか」

また、幼い弟がいたので自分に使ってくれる時間を増やすために、

「どうすれば弟よりも自分が注目されるのか」

を考えていました。

その結果、私は明るく人懐っこい性格になり、人に頼られたり注目されることが何よりも嬉しく

常に「どうすれば注目されるのか」「何ができれば目立つことができるのか」を考えている

子供になりました。

父にかまって欲しくて注目されるにはどうすればいいか考える様になった

小学生になると勉強の鬼となった母のおかげで、勉強が少しできるようになりました。

なので、同級生や弟によく勉強を教えていました。

中学生になると、勉強時間や睡眠時間をモンスターハンターにどハマりし、勉強時間や睡眠時間をガッツリ削り、ひたすらゲームをしていました。

その結果、勉強は164人中164位と最低の成績を記録しました。

中二の後期まで全く勉強しなかったため、担任の先生に
「このままだと公立どころか私立の高校にも行けないぞ?」と毎日のように諭されました。

さすがにヤバいと思った私は、心を入れ替えて1年間ゲームを一切せずに勉強をやり込みました。

その甲斐あって商業高校に入学することができました。

高校では勉強にドハマりしました。

3年間簿記を勉強していたのですがあまりにも面白く、狂ったように勉強をしていました。

最初はかなり躓いて悩んでいたのですが、コツがわかるとスラスラ問題が解けるようになり、気がついたら成績上位になっていました。

私は簿記が得意になったことをキッカケに、簿記が苦手な友人のために勉強会を放課後に開くようになりました。

最初は理解に苦しんでいた友人たちも2ヶ月程経つと徐々に成績が上がり、
最終的に全員資格を取得することができました。

高校の卒業式の日に友人たちが嬉しそうに
「かれーこのお陰で卒業できたよ!ありがとう!」と言ってくれました。

この経験から「自分ができることで相手に良い結果を与える人間になりたい」と思うようになりました。

大学進学後は順風満帆な生活を送っていました。

私は理系の大学に進学したのですが、高校では簿記を勉強していたため、数学や物理などの勉強をほぼしていませんでした。

また、受験もAO入試で合格したため基礎知識がない状態でのスタートとなってしまいました。

両親には「留年したら速攻で退学してもらう」と言われていたので何がなんでも落単を回避する必要がありました。

そこで私は学部で一番成績の良い人を探して、勉強を教えてもらうことにしました。

幸いにも見つけることができ、部活に入ることを条件に勉強を教えてもらいました。

おかげさまで落単をすることなく大学生活を送ることができました。

部活では少林寺拳法部に所属し、素人なりに努力をした結果、最終的には大会で2位の結果を残すことができ、初段を取得することができました。

その後、後輩たちに技を教えたり、勉強を教えたりして充実した大学生活を送ることができました。

就活の時期になり、大学生までの経験から
「人の役に立てて、人に結果をもたらすことができる仕事に就こう」と決めました。

そして今の会社の社長に「君はダイアモンドの原石だ!ぜひウチの会社に入社してほしい」と言われ、この会社なら「人の役に立つ仕事ができる」と思い入社しました。

社会人1ヶ月目:絶望の社会人生活がスタート

私は産業廃棄物処理を生業とする会社に入社しました。

入社後に配属された部では能力があれば年齢関係なく出世することができるので、

私は、同期の誰よりも出世して頼られる存在になることを目標に日々精進していました。

「学生の時の様に順風満帆な生活を送ることができる」そんなことを思っていました。

しかし、入社から1ヶ月目事件が起きます。

ある現場作業にて、誤って右腕が機械に飲み込まれてしまいました。

その機械は筒状で、圧力を使って吸引をする機械だったのですが、私は肩まで吸い込まれてしまいました。

吸引はとても強く、腕を吸い込んだことで真空状態になり一人の力では到底引き抜くことができませんでした。

さらに運が悪いことに、たまたま近くに誰も居らず、全身の血が右手に集中してしまっていたことで意識が朦朧とし、声を出すこともできませんでした。

腕を吸い込まれてから5〜6分程経った時、たまたま様子を見に来てくれた方が機械を止めてくれたので、腕を引き抜くことができました。

しかし、右腕は2倍程に膨れ上がってしまいゾンビのような色になっていました。

意識が朦朧とする中、病院に担ぎ込まれた僕はお医者様に
「明日までに腕の腫れが引かなければ切断します」と告げられました。

幸いな事に少し腫れが引いたので切断とまではいきませんでしたが、全治1ヶ月の大怪我をしてしまいました。

社会人1年目:入社1ヶ月で出世コースから外れる

学生生活の時と打って変わり社会人1年目は足手纏いからのスタートとなりました。

事故から1ヶ月すると腕も指も動かせる様になり、仕事に復帰することができました。
(腕が治るまでは事務職をしていました)

しかし、配属部署が工場勤務に変更されていました。

工場勤務になると、年功序列で出世していくので実質出世コースから外れたことを意味していました。

工場での日々は、廃棄物を機械で粉砕したり中和したり、仕分けしたりと面白くない業務が永遠と繰り返されていました。

一方、同期のみんなは忙しそうにしていましたが、とても充実した日々を送っており
とても羨ましく思っていました。

私は「自分だけ落ちこぼれになってしまった」と思うようになりました。

それでも負けたくなかった私は、夜遅くまで残業したり、休みを返上し連勤して工場の機械と施設を完璧に把握したりと努力をしていました。
(最高で31連勤しました。今思えばアホだなと思います笑)

しかし、社会人2年目になると私以外の同期は軒並み役職がつきました。

私は現状に絶望してしまいました。

「このままでは、自分は誰からも頼られることもなく埋もれていってしまう」

それがとても恐ろしく、なんとかしなくてはいけないと思い始めました。

同期との差が悔しくて努力するも、結局出世コースから外れてしまう

社会人2年目:新たな進路を探し始める

落ちこぼれた私が考えたプランは次の3つです。

1、このまま会社で出世する

2、転職

3、フリーランスになる

まず初めに考えたことは「このまま会社で出世するのを待つ」でした。

正直この選択肢は最初からないと思っていました。

先程も説明しましたが、工場での出世は年功序列と決まっており、

いくら頑張ったところで出世は見込めないからです。

今の状況が、この先何年も続くことが耐えられないと思い、会社で出世する道を諦めることにしました。

次に、私は「転職」を考えました。

転職すれば新しい環境になり、そこで努力をしてみんなから頼ってもらえる様な人材を再度目指してみようと思いました。

しかし、工場でしか働いたことがないため転職したい会社の条件に中々当てはまりませんでした。

転職活動を始めて分かったことは、
最善の選択が「同じような工場勤務をする」ということだけでした。

このことから、私の中から転職するという選択肢はなくなりました。。

残るは「フリーランスになる」という選択肢だけになりました。

今後の進路を考えた末にフリーランスを目指すことに

社会人3〜5年目:動画編集者としての挫折

フリーランスになるにあたり、まずは仕事をしながらお金を稼げるようになろうと思い、
働きながらできる副業を探していました。

そこで見つけたのが「動画編集者」という仕事です。

今の仕事とは全く畑が違いましたが、YouTubeで発信されているクリエイターの方々がとても楽しそうにしており、こんな働き方ができたらいいなと思い挑戦する事になりました。

最初はパソコンを使い慣れていなかったので苦労しましたが、独学で勉強してスキルを身につけることができました。

そして1年後、ありがたいことにお仕事をもらえるようになり月1〜3万円ほど稼ぐことができる様になりました。

この頃私は、さらに自分のスキルを上達させたいと思うようになりました。

すると偶然にもプロの動画クリエイターの方と知り合うことができ、その方のアシスタントとして修行をする事になりました。

平日は会社が21:00頃終わり、21:30〜1:00までアシスタントとしての仕事をし、朝5:30に起きて1時間ほど動画編集をして、7:00に出勤するという生活が始まりました。

また土日は朝8:30〜夜0:30までアシスタントをしていました。

プロの方は撮影の方法や、照明の扱い、人としての考え方を教えてくださいました。

ただ、とても厳しい方で、時には殴られたり蹴られたり罵倒されたりしながらアシスタントをしていました。

正直心が折れそうになることもありました笑

しかし、会社から独立して理想の仕事を手に入れたかった私は

「負けてなるものか!」

と自分を鼓舞して1年2ヶ月ほど無償でアシスタントを務めました。

その結果、少しずつではありますが編集以外の仕事を振って下さるようになり、

撮影を任せていただいたり、お客様のSNSアカウント管理を任せていただいたりといった

業務を経験することができました。

この頃、私は

「動画クリエイターになればみんなが必要としてくれる人材になれるかもしれない」

「このまま頑張れば会社から独立することができるかも!?」

「少なくとも自分の進んでいる道は間違ってないかもしれない」

と思うようになりました。

少しずつではありますが「理想の未来を実現できるかもしれない」という明るい希望を見出せていました。

しかし、そんな思いとは裏腹に無理をした生活をしていたせいか、1年で体重が14kgも増量し、

去年の10月に腎管結石と大腸炎になってしまい2週間ほど動けなくなってしまいました。

完治した後、再びアシスタントに戻ろうとしましたが、以前の様に頑張ることができなくなってしまい、心が折れてしまい辞める事になりました。

フリーランスを目指すも、無理が祟り体調を崩してアシスタントをやめた

27歳:WEBマーケティングとの出会い

アシスタントを辞めた後、今後どうすれば良いか迷っていました。

動画クリエイターとしてやっていく自信がなくなってしまい途方にくれていました。

「このまま会社に残って埋もれてしまうんだ」

と思い絶望していました。

そんな時、動画編集者時代に残った課題について考えていました。

その課題とはクライアント様の数字が伸びないことでした。

アシスタントをしていた時、クライアント様のSNSの運用代行をしていました。

しかし、時間をかけて動画や投稿を作ったにも関わらず全く見てもらえませんでした。

その結果、離れていくクライアント様が多かったのです。

私は「どうすれば人に見てもらえるメディアを運営することができるのか」と考える様になりました。

そんな時に出会った本が「美しくバズる技術」という本です。

この本を読んだ時、「自分の求めている答えはこれだ!」と思いました。

これが私とWEBマーケティングとの出会いでした。

この本はWEBマーケティングをするための方法が、とてもわかりやすく紹介されていました。

著者に興味を持った私はGoogleで検索してみると、WEBマーケティングのスクールを運営していることがわかりました。

「WEBマーケティングができる様になれば、理想の仕事に就けるかもしれない」

そう思いこのスクールに入りました。

どうすれば見てもらえるのか考えた末にWEBマーケティングに出会った

現在:新たな目標を達成するために

現在の私の目標は

「1年後にWEBマーケティングの基礎とSNSスキルを身につけ、数字を伸ばすことができる動画クリエイターになる」

です。

「クライアント様の数字が中々伸びない」

「せっかく作った作品を見てもらえない」

そんなクリエイターの方々の悩みに少しでも貢献できるよう、私がスクールで学んだことを

順番に分かりやすく、このブログにアウトプットしていきます。

自分の目標を達成するため、皆様の力になるために頑張っていきますので

今後とも何卒よろしくお願いいたします。